1975-03-25 第75回国会 参議院 社会労働委員会 第8号
○政府委員(八木哲夫君) 戦後処理の問題いろいろあるわけでございますけれども、厚生省なりあるいは援護局関係でやっておりますいままでの動き等につきましては、終戦直後はいかにして戦地あるいは外地におられます軍人あるいは一般邦人の方の引き揚げを促進するかというのが一番大きな中心であったわけでございますが、昭和三十年の大体前半程度で集団引き揚げ等が終わったわけでございます。
○政府委員(八木哲夫君) 戦後処理の問題いろいろあるわけでございますけれども、厚生省なりあるいは援護局関係でやっておりますいままでの動き等につきましては、終戦直後はいかにして戦地あるいは外地におられます軍人あるいは一般邦人の方の引き揚げを促進するかというのが一番大きな中心であったわけでございますが、昭和三十年の大体前半程度で集団引き揚げ等が終わったわけでございます。
今まで集団引き揚げでくる場合には、船まで日本の船を出して、船の中から日本のにおいをかいでこられた。今から個別引き揚げになると、自分たちで旅費その他まで負担しなければならないという心配がみなあったのですが、今のあなたの御説明で了解しました。それは、引揚者だからそういうふうな国の恩典が与えられている。
昭和二十八年に再開されました中共及びソ連地区からの集団引き揚げ受け入れにつきましては、当初厚生省予算により、引き揚げ人員約二万六千八百人に対し、約三千四百戸の建設を行いました。二十九年度以降は、建設省所管第二種公営住宅により措置することになりましたので、詞年度におきましては、三百二十九戸を建設して引揚者をこれに入れたのでございます。
引き揚げについては、大臣から御説明申し上げましたように、これは実ははっきり見当をつけかねますが、一応、集団引き揚げ人員を三千人と予定いたしております。そのほか、個別引き揚げ五百人、戦犯釈放百人ということで、単価等は全部在来通りであります。(2)の引揚者の集団収容施設補修費補助金、これは北海道の例の集団施設が非常にいたんでおりまして、それを補修するための補助金を新規に計上いたしたのであります。